式内 岐多志太神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社 号 岐多志太神社

式内社 大和国城下郡 岐多志太神社二座 (鍬靫)
読み:古 キタシタ、現 きたした
江戸時代 「天神社」
通称:たいこっさん

所在地 奈良県磯城郡田原本町伊与戸143
旧地名 大和国城下郡
御祭神 天香山命(あめのかぐやまのみこと) 天兒屋根命(あめのこやねのみこと)
祭礼 10月6日 例祭

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座
大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
城下郡(シキノシモ) 17座(大3座・小14座)

近代社格制度 不明

創建     年代不詳
本殿様式   春日造2棟

境内摂末社(祭神)

一口メモ

国道24号線阪手交差点を東へ進む。対面通行の広い道を南、東小学校手前を東。式内 村屋神社もすぐ近くにある。

歴史・由緒等

岐多志太神社

田原歴史遺産
延喜式内社 旧城下郡 大木
岐多志太神社
祭神 天香語山命 天児屋根命 二柱
岐多志奴神社は村屋座彌富都比売神社の北北西約400mの大宇伊与戸と大宇大木の間にあり、楠、欅、大樹の鎮守の森に西面して、大正8年の石鳥居か建ち、境内に南面して、拝殿と二柱の本殿がある。本殿は、石基壇上に、二殿並び建ち、板葺、銅板で覆う春日造で、本殿の前に、神明造の石烏居か建つ。
この神社の祭神天香語山命の名は、石凝姥命とも呼ひ、天児屋根命と共に、鏡作座天照御魂神社と同じ、石疑姥命・天児屋根命を祀屯る。この地域の祖の物部大木連一族に、鏡作連の祖、鍛冶師連があり、「岐多志太」は「鍛冶帥田の萬菓仮名文宇の表記か。大木に「カヂヤカイト」「カンヂチャウ」の小字名かあり、これらに関わる地名か。又、天香語山命は天ノ岩戸神話で天照大御神を岩戸から出すのに歌舞音曲を用いた事から、芸能の神とされ、この大木に「フエノキ∫ツツミウチ」ヒョシダ」の小字名があり、雅楽に関連する地であったのではないだろうか。

大正10年 「岐多志太神社由緒」奈良女子高等師範学校教授 水木要太郎 編
平成8年9月28日 「岐多志太神社拝殿道営記念」大字大木自治会・岐多志太神社 守屋広尚文書 より

この神社の旧社名は、太根命であったが、明治7年(1874)の神仏分離令の時、式内社岐多志太神社となった。岐多志太神社は崇神天皇7年の鎮座と伝えられている。(明治12年 大和国式下郡神社明細帳)
拝殿は、大正10年(1921)に三間半×二間と従来の二倍以上の規模に改築された。

平成20年度 No.7 田観3 田原本町観光協会
「社頭掲示板」

式内社・岐多志太神社に比定されている古社で移転の記録はないので神社はあったが、旧社名は、太根命であったとある。式内 村屋神社(村屋座彌富都比売神社)がすぐ近くにあり、式内社なら近すぎるしそうした例は珍しい。

社号の「岐多志太(きたした)」謂れには2つあるようだ。
この辺り興田庄(オキタノシヨウ)といふ。「オキタ」の庄の「オ」を除いて「キタ」となり、その南を「シタ」という。岐多は興田のことである。その下は南を指している。

或は岐多志太(きたした)は饒速日命十一世鍛冶師連公(キタシムラジノキミ)の居住地で鍛冶師の田(キタシダ)の仮字ともいう。

「全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年」によると、
キタ即ち鉄を鍛える鉄工の神である。今もカジヤガイトウの地名が近くに残っている。また祭神天香語山命は芸能の神ともいわれフエフキ・タイコウジ・ヒョウシダの地名もあり雅楽が最初に伝えられた地ともいわれる。

境内・社叢

  
社叢                    鳥居・社号標

  
手水舎                  拝殿

   
狛犬

  
本殿の神明鳥居              本殿

地名・地誌

地 図

奈良県磯城郡田原本町伊与戸143

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他

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